仕事のミス
仕事のミスはつきもの。
だからと言って願ってミスをする人はいないですよね。
今日は、自分の中ではテンパってしまうようなミスをしてしまい、なかなか自分の中で消化しきれない、要するに自分の責任だけではないという、曲がった精神構造が出てしまう出来事が起こり、自暴自棄になってしまっている自分がいるのです。
落ちこぼれサラリーマンの私は、自称・他称、落ちこぼれなので、恐らく常人の人からすれば、あり得ないようなミスを連発しては、落ち込んで一日が終わる。そして自分は駄目だと思う、心の片隅で「そんなことないよ」と誰かに言って欲しい自分もいる。面倒くさい生き物だなって思います。
都合の良い言い訳ですが、ミスをしたくてしているわけではない、わざとミスをしているわけではない、自分しか知り得ないどうしようもないプロセスがあり、しょうがないじゃんってどこか言って欲しいようなことでも、自分のミスとされミスが起こる。
私の心のベクトル構造はこういった形なのかな?と今ここで吐き出して気づきます。
なので永遠とモヤモヤしてしまうのです。
世間はやはり厳しいです。つきもののとされるミスを犯しても、起こしてしまったことから逃れることはできません。やはり自分で解決するしかないのです。
ミスを馬鹿にされ、評価が下がろうが、自分で解決する。
こういった日常で、様々な情報源から目にすることは「受容」です。
自分を受け入れる。ありのままの自分を受け入れる、自問に自問を重ね、受け入れたくない自分も、自分にはあってそれが自分の今なんだと理解すること.....
これってなかなか難しいこと?いや、なかなかできないことかも知れません。
臭いものに蓋をしてきて、何とかその場をやりくりしてきた中年サラリーマンには、時間がかかる作業だなあと思います。
今までの自分を、自分で否定していく作業がなければ、真の受容にはつながらないし、別の環境では通用しないかもしれないです。
中年になった今更、そんなこと?
でもやらなきゃ、いつまでたっても変化はないかも知れません。
今の自分がしんどいなら、とことん見つめ直すしかないかなと思います。
本当の自分を、本当に納得して受容できたとき、やっと自分らしく生きやすくなるのかも知れないと考えるのです。
お前もそんなこと考えてるのか?親父コーギー....笑